2019.12.12

“夕やけ番長” 荘司としお先生
レジェンドインタビュー

梶原一騎先生とのコンビで番長ブームを巻き起こし、創刊間もない『週刊少年チャンピオン』を牽引した『夕やけ番長』。
友情、ケンカ、スポーツ、恋、少年たちの悩みの答えはここにあった!

赤城忠治のように生きてきた正義とスポーツの人生

50年前に誕生した『週刊少年チャンピオン』創刊号の巻頭作品は『夕やけ番長』です。当時の雑誌を持ってきました。
「懐かしいですねぇ。創刊号は50年ぶりに見ます。改めて、ノッて描いていたんだなと思いますね。」

創刊時のことは?
「名前が“チャンピオン”ってのはカッコいい名前だなと思ったのを覚えています。ちょうど週刊マンガ誌が増えてきたときで、『サンデー』、『マガジン』、『キング』、『ジャンプ』が先に出てたので、自分が一生懸命描いて売れればいいなと引き受けました。」

当時のマンガ界のことを知る機会はなかなかないので、今日はいろいろお話を聞かせてください。
「もう78歳だから忘れていることも多いけどね。なんでも聞いてください。」

ちなみに先生が着られているのは東京マラソンの記念Tシャツですが、もしかして走られたことが?
「ええ(笑)。東京マラソンは2回ほど。マラソンは40歳からはじめてホノルルマラソンにも3回出場しました。」

うわあ、現役のスポーツマンですね! まさに先生が描かれるマンガの主人公たちのようです。
「ハハハ。自分が『夕やけ番長』の赤城忠治になったような感じで生きてきましたからね。『夕やけ番長』の頃に胃を壊して医者から「このままじゃ死にますよ」と言われましてね。そこから空手、野球、マラソンをはじめて、今もプールに通っています。マンガよりスポーツ中心になったんです(笑)。」

『冒険王』の看板作品が
『週刊少年チャンピオン』創刊の目玉!

『週刊少年チャンピオン』の創刊号の巻頭カラーとしてスタートした『夕やけ番長』ですが、『冒険王』がメインの掲載誌だったんですよね?
「そうです。『冒険王』で人気があるからということで、『週刊少年チャンピオン』が創刊されるときに、番外編を描いてくれという話がきたんです。」

原作が梶原一騎先生で、荘司先生は作画を担当されていました。『冒険王』と『週刊少年チャンピオン』で明確な内容の違いがあったんですか?
「『冒険王』はストーリーがあって、『週刊少年チャンピオン』は読み切りという分け方をしていましたが、そこは梶原先生任せでした。梶原先生は読み切りも上手いので、楽しんで描いていました。」

番長の赤城忠治が、ケンカや野球、ボクシングを通して、周囲に影響を与えていくというストーリーです。
「赤城のキャラクターが良かったですね。正義の味方なんだけど、どこか悪ぶっていて。格好をつけずに自分を表現するところが気に入っていました。」

熱い男だけど、どこか陰があるんですよね。
「当時、マカロニ・ウエスタンの『夕陽のガンマン』が流行っていたので、そこからヒントを得てタイトルを『夕やけ番長』にしたんですね。」

荘司としお●しょうじ としお

1941年生まれ。1967年『冒険王』で連載された『夕やけ番長』(原作:梶原一騎)が大ヒット。1971年には自転車で日本一周する少年を主人公にした『サイクル野郎』(少年画報社)を連載。
全37巻の長期連載に。

当時の梶原一騎先生は『巨人の星』、『柔道一直線』、『あしたのジョー』、『タイガーマスク』と大忙しの時期だったと思います。
「そうですね。最初は梶原先生、ちょっと怖い感じでしたよね。「僕の原作を変えてくれるな」という感じでした。ちょうどその頃、『あしたのジョー』でちばてつや先生が梶原先生の原作をけっこう変えたらしくて、あれはあれで素晴らしいですけど、私はそのまんまでした。どうしてもぴったり同じにはいかないので、ちょっとだけ変えたところはありますけどね。」

梶原先生から何か言われたりは?
「何も言われませんでしたね。」

原作を読んだときの印象は?
「読みやすかったです。原稿用紙に濃い鉛筆で書かれていて、しかも無駄な情景描写とかが一切ないんですよ。そのへんは私に任せてくれているのかなと。情景を頭に浮かべながら描きました。」

連載当時、梶原先生との交流は?
「「ウチに遊びにこいよ!」なんて言われて、お宅に2回くらい行きました。私はそんなにお酒を飲まないから、長く付き合うことはなかったですけど、担当の壁村さんがかなりのお酒好きでね(笑)。梶原先生と壁村さんとでボトルを一本空けるのを見てましたよ。とにかくお酒が強いって印象ですね。」

お父さん譲りの芸術センス
書き初めは兄弟で絵を描く

『夕やけ番長』が大ヒットしたことで、『週刊少年チャンピオン』はずっと不良少年が活躍するマンガの系譜が続いているとも思えます。
「ああ(笑)。そうかもしれないですね。」

『夕やけ番長』連載時のことで印象に残っていることは?
「今、見るとずいぶん幼稚っぽい絵を描いていたんだなと思います。最近のマンガは雰囲気がありますからね。」

『夕やけ番長』もそうですが、当時のマンガは躍動感があって、読んでいて主人公の真似をしたくなります。
「私たちのちょっと前の時代は紙芝居が全盛で、『赤胴鈴之助』とかもその流れを感じますからね。そこから手塚先生が映画的な手法を取り入れて、マンガも変わってきたんだと思います。」

ちょうど転換期だったのですね。マンガを描こうと思われたきっかけは?
「私の父親が器用な人で、飴細工で絵を描くとか、しんこ細工って米の粉でうさぎを作ったり、ああいうのが達者だったんです。その割に長崎の軍艦島の炭鉱で働いたりもしてて。」

お父さんは軍艦島で働かれていたんですか?
「ええ。住んでいたのはその近くの島だったらしいですが、安全員をしていたらしいですね。まあ、もともと日本画家になりたかったらしいので、絵は得意でお正月なんか書き初めを兄弟揃って絵で描いていました。」

書き初めを絵で表現するって楽しそうですね! マンガも読まれていたのですか?
「読んでいましたよ。やっぱり手塚治虫先生ですよね。『狂った国境』なんてのはまだ覚えています。他にも『8マン』の桑田次郎さん、『イガグリくん』の福井英一さん、『ビリーパック』の河島光広さん、『赤胴鈴之助』の武内つなよしさんとかね。」

貝塚ひろし先生のアシスタントに 
マンガ界は週刊誌時代へ!

マンガ界へ入ったのは?
「集英社の『おもしろブック』(月刊誌)の新人漫画募集に『怪傑白マント』という作品を応募したら入賞しました。翌月から連載をやらせていただくことになり、上京したのですが、私のマンガは人気が出ず一年で終了しました。その後、同じ『おもしろブック』で人気があり長期連載中の『くりくり投手』の貝塚ひろし先生のアシスタントになったのです。そこでは『750ライダー』の石井いさみ先生もいらして、一緒に寝泊まりしていました。結局、ちょっと手伝うつもりが2年近くいましたね。」

デビュー当時の思い出は?
「あの頃は増刊号が多くて、何本か描かせてもらっていましたが、講談社の『ぼくら』で連載した『うなれ熱球』(原作:相良俊輔)でマンガのコツを掴んだというか、こうやれば受けるんだというのを学びました。当時は人気がある作品は本誌以外に別冊も出たりしたんです。」

だから『夕やけ番長』は、『冒険王』と『週刊少年チャンピオン』の2冊同時連載だったんですね。
「そうですね。忙しかったです。4色カラーとか、2色ページとかよくやりました。2色はちょっと豪華な感じがして好きでした。」

『夕やけ番長』アニメ化!
テレビで特番も組まれる人気に!

『夕やけ番長』は相当な人気で、『週刊少年チャンピオン』創刊時にはすでにアニメ化されているんですよね。創刊号にはテレビでやった特番“モーレツ番長大会”のレポートが載ってるくらいです。
「ああ、梶原先生と一緒にテレビに出たことがあったかもしれない。あんまり記憶がないですけど、出演者の由利徹さんが番長の格好をしてくれたのは覚えています(笑)。嬉しかったですね。」

記事によると、“名古屋地方の4つの番長グループを交えて腕相撲大会などで盛り上がった”と書いてあるので、番長ブームだったんですね。
「そこまでは覚えてないなあ(笑)。」

当時の子供たちにとって番長は、“頼りになる存在”だったのかもしれません。先生が少年マンガを描かれるうえで大切にしていることは?
「友情ですね。あと、自分の生き方を少しずつ勉強していくようなものになればいいなと思って描いていました。」

マンガで何かを学ぶということでしょうか?
「私は小学校低学年のときに、川で死に損なったことがあるんですよ。泳げないのに川の深みにハマってしまったんです。「死ぬ!」と思ったときに、息を止めて水の底に潜って、足を斜めに突っ張って、手足を思いっきり伸ばしてバタバタしたら、深みから出ることができたんです。」

生きるための機転ですね。
「それが私の生き方の原点になっています。どんなピンチに陥ってもどこかに突破口があるから生きることを諦めるなっていう。その自信をそのときに持ちました。」

まさに『夕やけ番長』の最終回で、赤城忠治が仲間を助けるときに命を賭けたジャンプをしたシーンに通じます!
「ああ、そういうラストでしたね。」

振り返って『夕やけ番長』は先生にとってどのような作品ですか?
「好きな作品です。梶原先生のおかげでこれだけのものを描けたと思います。場面転換とか物語を作っていく要領は梶原先生から教わったと思います。その技術はのちに描いた『サイクル野郎』にも生かされていると思います。」

最後に50周年を迎えた『週刊少年チャンピオン』にメッセージをいただけますか?
「今度は100周年ですね。『週刊少年チャンピオン』は“不滅の週刊誌”ということでずっと続いてほしいと思います。」